「予定通りに進まない」の心理:計画の誤謬と楽観主義バイアスに気づき、現実的な計画を立てる実践ガイド
日々の業務において、計画通りに物事が進まない、タスクの完了に想定以上の時間を要するという経験は、多くの人が共通して抱える課題の一つではないでしょうか。特にプロジェクトの推進や新しい企画の立ち上げにおいては、初期の見積もりやスケジュールが後になって大きくずれてしまい、チームや関係者に多大な影響を与えることもあります。
こうした計画のずれの背景には、さまざまな要因が考えられますが、私たちの無意識のうちに働く「バイアス」が大きく影響していることがあります。中でも、計画や予測に関連性の高いバイアスとして、「計画の誤謬」と「楽観主義バイアス」が挙げられます。これらのバイアスのメカニズムを理解し、自身の傾向に気づくことは、より現実的で信頼性の高い計画を立て、スムーズなプロジェクト推進を実現する第一歩となります。
計画の誤謬とは何か
計画の誤謬(Planning Fallacy)とは、タスクやプロジェクトの完了に必要な時間やコストを予測する際に、実際にかかる時間やコストを組織的かつ過小に見積もってしまう傾向のことです。このバイアスは、過去の類似タスクでの遅延や問題発生といった経験を軽視し、将来の計画については楽観的に考えてしまうことによって生じやすいと考えられています。
なぜ計画の誤謬が起こるのでしょうか。一つの理由として、「内部視点」に偏りすぎることが挙げられます。計画を立てる際、人はそのタスクやプロジェクト固有の特性(自分の能力、チームの状況など)に焦点を当てがちです。しかし、過去に類似のタスクがどれだけ遅延したか、あるいは一般的なプロジェクトでどのような問題が発生しやすいかといった「外部視点」(参照クラス思考とも呼ばれます)を十分に考慮しない傾向があります。その結果、順調に進んだ場合の理想的なシナリオを想定し、予期せぬ遅延要因(他の業務による割り込み、仕様変更、技術的な問題など)を見落としてしまうのです。
仕事における計画の誤謬の具体例としては、以下のようなものがあります。 * ある機能開発のタスクにかかる時間を、過去の類似タスクで発生した予期せぬバグ修正やレビュー待ち時間を考慮せずに見積もってしまう。 * 新しいツールの導入プロジェクトで、導入後の定着支援やトラブル対応にかかるリソースを過小に見積もってしまう。 * 会議の準備時間を、資料作成だけでなく、関係者との調整やレビューにかかる時間を見落として見積もってしまう。
楽観主義バイアスとは何か
楽観主義バイアス(Optimism Bias)とは、未来の出来事について、ポジティブな結果が生じる確率を過大評価し、ネガティブな結果が生じる確率を過小評価する傾向のことです。多くの人は、自分自身や自分の関わるプロジェクトについて、客観的な根拠がないにも関わらず、平均よりも良い結果が得られると信じがちです。
このバイアスもまた、計画の誤謬と密接に関連しています。計画の誤謬がタスク完了時間の過小評価につながるのに対し、楽観主義バイアスはプロジェクト全体の成功確率やリスクの低さなどを過度に楽観視することにつながります。例えば、新しい企画の成功確率を現実的に評価せず、「きっとうまくいく」と期待過剰になったり、潜在的なリスク(競合の出現、市場の変化など)を軽視したりすることがあります。
仕事における楽観主義バイアスの具体例としては、以下のようなものがあります。 * 新しいシステム開発プロジェクトで、技術的な未知のリスクを「多分大丈夫だろう」と深く検証せずに進めてしまう。 * 新しい営業戦略について、競合の対策や市場の不確実性を考慮せず、目標達成を過度に楽観視してしまう。 * リソースが不足している状況でも、「何とかなるだろう」と人員計画の不備を認識しないまま進行してしまう。
計画の誤謬は特定のタスク完了時間に対する予測のずれとして現れやすい一方、楽観主義バイアスより広範に、未来の出来事全般に対する確率評価のずれとして現れることがあります。しかし、どちらも「未来は順調に進むだろう」という無意識の期待が根底にある点で共通しており、現実的な計画策定の妨げとなり得ます。
これらのバイアスがもたらす影響
計画の誤謬や楽観主義バイアスに基づく過度に楽観的な計画は、様々な負の影響をもたらします。
- プロジェクトの遅延と予算超過: 見積もりが甘いために、スケジュール遅延や追加コスト発生が常態化し、プロジェクトが失敗に終わるリスクが高まります。
- チームメンバーの疲弊と士気低下: 非現実的なスケジュールは、メンバーに過度なプレッシャーをかけ、残業の増加や疲弊を招き、チーム全体の士気を低下させます。
- ステークホルダーとの信頼関係悪化: 計画通りに進まないことは、顧客や関係者からの信頼を損なう可能性があります。
- リスクの見落とし: 楽観的な見通しにより、事前に回避できたかもしれないリスクへの対応が遅れてしまうことがあります。
バイアスへの気づきを得るためのヒント
自身の計画や見積もりに計画の誤謬や楽観主義バイアスが潜んでいないか気づくためには、いくつかの視点が役立ちます。
- 自分の見積もりを「第一印象」として捉え直す: 最初に思いついた見積もりは、これらのバイアスに影響されている可能性が高いと考え、すぐに確定させず、一度立ち止まって考える習慣をつけます。
- 過去の記録を参照する習慣をつける: 過去に類似のタスクやプロジェクトで実際にかかった時間や発生した問題の記録を確認します。記憶は美化されたり都合よく解釈されたりしやすいため、客観的なデータに目を向けます。
- 外部視点を取り入れる質問を自分に問いかける: 「過去に同じようなケースでは、どんな問題が起きたか?」「最悪の場合、どのくらい時間がかかる可能性があるか?」「自分以外の人は、この計画をどう見ているだろうか?」といった質問を自身に投げかけ、意識的に視野を広げます。
- 計画の「前提条件」を書き出してみる: 「このタスクは〇時間で完了する」という見積もりだけでなく、「ただし、Aさんのレビューはすぐにもらえる」「必要なツールはすぐに使える」といった前提条件を明確に書き出します。その前提が本当に現実的かを見直すことで、楽観的な見積もりに気づきやすくなります。
バイアスを克服し、現実的な計画を立てる実践アイデア
これらのバイアスに気づき、より現実的な計画を立てるためには、意識的なアプローチが必要です。以下にいくつかの実践アイデアを挙げます。
- 参照クラス思考を意識的に用いる: 計画しているタスクやプロジェクトと類似する過去の事例を複数探し、それらの事例で実際にかかった時間や発生した問題を分析します。その平均値や分布を参考に、自身の見積もりを調整します。自社やチーム内のデータだけでなく、業界のベンチマークなども参考になる場合があります。
- タスクを可能な限り細分化して見積もる: 大きなタスクを詳細な小さなタスクに分解し、それぞれのタスクについて見積もりを行います。小さなタスクの方が予測精度が高まりやすく、全体の見積もりの精度向上につながります。また、分解したタスクのリストは、作業漏れを防ぐチェックリストとしても機能します。
- 「最悪のシナリオ」も想定し、バッファを設ける: 見積もりを行う際に、最も順調に進んだ場合、通常の場合、そして予期せぬ問題が発生した場合(最悪の場合)の複数のシナリオを想定します。そして、通常の見積もりに対して、発生しうるリスクを考慮した「バッファ」(予備時間や予備リソース)を意識的に追加します。このバッファの量は、タスクの不確実性やリスクの大きさによって調整します。
- プランニングポーカーなどのチームで見積もりを行う手法を取り入れる: チームメンバーそれぞれの視点から見積もりを出し合い、大きなずれがある場合はその理由を議論します。異なる視点や経験が集まることで、一人では気づけなかったリスクや考慮事項が明らかになり、より現実的な見積もりにつながります。
- 定期的な振り返りと学習の習慣をつける: 計画通りに進んだか、遅延した場合はなぜ遅延したのかを定期的に振り返り、その原因を分析します。特に、自身の見積もりがどのようにずれたのかを客観的に記録し、次の計画に活かすことで、時間とともに見積もり精度を高めていくことができます。プロジェクト完了後だけでなく、週次やスプリントごとなど、短いサイクルでの振り返りも有効です。
他の人の実践例
ここでは、計画の誤謬や楽観主義バイアスを意識し、計画の精度向上に取り組んだリーダーたちの(架空の)実践例を紹介します。
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事例1:過去データに基づいた見積もり調整 あるチームリーダーは、過去に担当した類似機能開発プロジェクトの完了時期と、各タスクにかかった実際のリソースや時間を記録していました。新しい機能開発の計画を立てる際に、まずチームメンバーに直感的な見積もりを出してもらった後、過去のデータと比較検討するステップを必ず入れました。「過去のA機能は、見積もりより〇〇%遅れた実績があるから、今回はそのリスクを考慮してバッファを増やそう」といった具体的な議論をチームで行うことで、より現実的なスケジュールを作成できるようになりました。
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事例2:タスク分解とリスク洗い出しをセットで実施 別のリーダーは、新しい企画の計画時に、タスクの洗い出しと同時に「このタスクで発生しうるリスク」をチーム全員で徹底的に議論するワークショップを取り入れました。「この部分の技術検証が難航するかもしれない」「あの部署との連携に時間がかかるかもしれない」といったリスク要因を事前に洗い出し、それぞれの発生確率や影響度を評価しました。その上で、これらのリスクに対応するための予備時間や代替案を計画に組み込むことで、不確実性の高い企画でも遅延リスクを低減することができました。
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事例3:定期的な「現実確認」ミーティング あるプロジェクトリーダーは、週に一度、短い「現実確認」ミーティングを実施しました。このミーティングでは、単に進捗報告をするだけでなく、メンバーそれぞれのタスク進捗について「現在の見積もり通りに進むか、遅延しそうか」「懸念事項はないか」を率直に話し合いました。特に、当初楽観視していたタスクについて、「実は想定外の課題が見つかった」といった早期の気づきを促し、必要に応じてすぐに計画を修正する柔軟な体制を構築しました。
まとめ
「計画通りに進まない」という経験は、単に能力不足や努力不足によるものではなく、私たちの脳に組み込まれた無意識のバイアス、特に計画の誤謬や楽観主義バイアスが大きく影響している可能性があります。これらのバイアスは、未来を過度に楽観視し、過去の経験や客観的なデータを軽視することで、非現実的な計画を生み出してしまいます。
しかし、これらのバイアスの存在に気づき、自身の思考パターンを認識することから、変化は始まります。そして、参照クラス思考の活用、タスクの細分化、バッファの設定、チームでの共同見積もり、定期的な振り返りといった具体的な実践アイデアを取り入れることで、バイアスの影響を軽減し、より現実的で信頼性の高い計画を立てることが可能になります。
計画の精度向上は一朝一夕には実現しません。日々の業務の中でこれらのバイアスを意識し、小さなタスクからで良いので、今回紹介した実践アイデアを試しながら、自身の計画策定プロセスを継続的に改善していくことが重要です。それが、プロジェクト成功の確度を高め、チームの健全な運営につながるでしょう。